History

死にかけた赤ちゃん猫との出会い

ジオラマ食堂の隣には、グループで運営する保育所と託児所があ ります。
2020年 6 月 10日朝、誰かが保育所の玄関に段ボールに入 れられて、死にかけている赤ちゃ ん猫を置き去りにしていました。 翌11日の朝、保育園の保育士から「死にかけている赤ちゃ ん猫 を自宅へ連れて帰り生き返らせました !」とオーナーを勤めさせて もらっている「私」のところに持ってきたのです。 それはそれは小さな手のひらに乗る可愛く尊い命でした。 その小さな命を保育士が連れてきた日は、ちょうど 3 月から 5 月 末のコロナ渦の影響で、本格的に資金不足の中の精神的にもそろ そろ無理だなと感じていた時の話でした。(この前日譚は別途掲載 します。)

とりあえず、( 同じ建物の 2 階にある児童施設の ) 児童に赤ちゃん 猫を見せた後、その夜 は自宅に連れて帰りました。事情を家族に 話したところ、娘が即答で「飼う」と判断。まずは、目も見えて いない赤ちゃん猫の保護が始まりました。

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子猫探す、お母さん猫

しばらくして、さらに蒸し熱くなってきた 6 月後半、コロナ自粛 で食堂にはお客様もすっかり来なくなりました。
ち ょうど、児童の保護者の方に施設の運営を助けて頂いていたこ ともあり、ジオラマ食堂は身内向けの食堂になり、毎日夕方 6 時 を過ぎると仕事を早く終わった児童送迎の運転手や保護者の方々 と食事をする場所になっていました。 そこにキジトラの怖い目つきの猫が毎日現れるようになりました。 消毒液を入れた容器を置く長テーブルの上からガラス越しに室内 のジオラ マの上を細かに見て自分の赤ちゃん猫を探しているのが すぐにわかりました。 毎日毎日、母猫が来るので、ジオラマ食堂店長の山本貴司と話し、 魚など冷蔵庫にあるものと、児童施設 向けに作った食事で、余っ た食材をプラスチックの容器に入れて、母猫にあげるようになり ました。

しかし、母猫に話しかけても威嚇の「シャーっ !」しか言わないの で、よほど人間を警戒し ているようでした。 それが後々調べたら、最初の赤ちゃん猫を保護した日から 1 カ月 以上続きました。

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子猫の兄弟と出会う。

そして、運命の日がやってきました。 託児所の児童が「隣のビルで猫がおっぱい飲んでる !」と、私に報告してきたので、託児所の先生方と一 緒に見に行きました。

するとその日の晩、土砂降りの大雨の中、キジトラとキジトラ、 白にブチの子猫と母猫が、食堂の前に止めていた車の下で 遊んで いるのを見つけてしまいました。 そのため、この日以来、しばらく車は動かさないことにしました。 そして、いつも世話になっているダスキンの Y さんに抗菌マット を用意してもらい、猫たちをそこに避難しても らうようにしまし た。

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保護してもよろしいですか?

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7月13日夜9時ごろ、突然の申し出受け、私たちと猫の家族との運命が大きく揺れ動くことになります。それは保護猫活動をされている近所のまったく知らない上田さんという方から「この猫たちを保護してもよろしいでしょうか?里親を募集して引き取ってもらい ます」という申し出を受けました。
スタッフの全員が「無言」に陥る驚きの一言。
この生まれたての赤ちゃんと母親を離れさせる?ただでさえ、コロナ禍で増える死者数、著名人の訃報など悲しいニ ュースがあふれる日々、やりきれない思いばかりがめぐるっている最中でした。その行為は思いの外、胸を苦しめました。
「目の前にまさか別れの日が来るなんて...」 思いも寄らない一言が大きく心を揺さぶりました。

とはいえ、コロナ禍で苦境に立たされたグループの経営は、資金面でとても厳しい状態でした。現実的には猫ですら余裕もないのも事実。その為、すぐに答えが出せないことを上田さんにお伝えし、「1週間待っていてください」とお願いしました。

猫家族の保護

それから一カ月後の7月22日の真夜中、お母さん猫の保護に成功しました。
上田さんのご提案で、そのまま病院へ連れてゆき避妊手術をする事になり、お母さんは翌日の夜中に迎えに行くことに決 まりました。
その後、上田さんはお母さん猫を保護した同じ日の夜12時から朝の5時まで子猫を保護活動を続け、翌23日の朝5時に二人の子猫を保護してくれました。
今のレオ君とナラちゃんです。
そして24日、最後まで逃げていたキジトラの後のライアちゃんがついに保護されました。

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猫たち食堂へ

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サラはこの頃、避妊を終えてケージの中に入っている状態でした。子猫たちは上田さんの自宅で6日間過ごしたあと、ジオラマ食堂についに子猫たちを迎えることになりました。
引き取るために上田さんの自宅を訪れたところ、3人の子猫たちが綺麗になってこちらを 見つめていました。
ただ6日経ってもまだまだ怯えた目つきだったのを覚えています。
私個人としては、この頃はいつも資金繰りのため金融機関や支援者からの連絡(催促)が 絶えない時期でした。そんな心情の中、無邪気に遊んでる子猫たちを見て何か感じたましたが、詳しく覚えていませ ん。それほど疲弊しきっていました。
ただ、とっさに「お母さんのところに帰ろうか」と思ったのは記憶しています。
ジオラマ食堂に、子猫たちより一足早く向かい入れていたお母さんの横に「連れて行ってあげたい」という純粋な想いが、枯れた心に少し湧き上がった瞬間でした。

サラお母さんの怒りと恐怖

少し時間を戻します。サラお母さんを保護してジオラマ食堂に迎え入れた日のことです。
ジオラマ食堂には、入ってすぐの広い店内の奥に、猫の家族に出会うひと月前のゴールデンウィークに作った「電化線のジオラマ」がある部屋があります。
ここにわずかなスペースがあったので、どうにか二つのケージを置き、先に保護されたサラお母さんをケ ージに移そうとしました。
しかし、当時サラお母さんは、 保護猫会の井上さんが去勢手術のため、一時的に病院へ保護し、その直後にジオラマ食堂にやってきたタイミングでした。
サラお母さんからすれば恐怖以外なかったこの数日、その気持ちは怒りと恐怖で満ちていたのです。サラお母さんは、こんなに怖いものなのかと思うほど「シャーシャー」と威嚇し、近づこうものならケージの中から長い手を振りかざして取り付く島はないほど。
それから、野良猫と仲良くなるにはどうしたらよいかをユーチューブで毎日学習していました。しかし、仲良くなろうと得た情報を試みても、その気持ちを掴むことはできず、手が血まみれになるだけでした。これはこの後も続くことになります。

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慣れないサラお母さん

8月に入り、新たなスタッフとして、穏やかで優しい「 I君」が入店しました。
この頃になると子猫たちはサラお母さんより、私たちに若干、慣れるようにはなりました。しかしサラお母さんは変わらず、何度も血まみれになってしまっていた私は彼に猫の世話を押し付けるように任せました。
そして、「これ以上馴染まないのであれば、もう一度、家族を野外に放した方がよいのか?」とさえ思い詰めるようになりました。
「 I君」は、十分に猫たちのお世話をしてくれていましたが、一向に慣れないサラお母さん。 軍手を二重にしたりゴム手袋をはめてまで世話してくれてる彼の姿を見ていると残念であり無念でした。

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子猫の公園

そんなある日、コロナで閉塞感が漂う日常が続く中、せめて猫の子供たちだけでも先にケージから出してあげられないかという感情が込み上げるようになりました。
食堂の閉店後、奥の部屋で遊べるようにケージの扉を開けるようにして帰りました。
そうするようになってしばらくしたある朝、出社すると奥の部屋のケージに子猫たちの姿がない!なんとジオラマの線路をまたいで猫がいました。それも子猫3人 ともども元気に公園で子供が遊んでいるかのようでした。 幾ばくかですが、子猫たちへ柵のついたケージから出て自由な空間を届けることができました。でも屋外で事故等のリスクを回避できるとはいえ、建物の中なので野良猫生活より不自由であるのは確 かです。少々、複雑な気持ちでありましたが、「ここで暮らしてくれたら、私も猫おじさ んになって安心して暮らせるように努力するね」と話していました。今になって思うのは、それほどこの子たちに癒されていたんですね。

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YouTubeは報告会

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以前より、ジオラマの映像をアップしたYouTubeチャンネルが、ジオラマ食堂にはありました。しかし、再生・フォロワーともに。その数は誉められたものではありませんでした。
そんな中、保護された猫家族を保育所、託児所の子供たちが気に掛けてくれていました。もちろん子供たちだけでなく保護者の方も、「その後」を心配いただいていました。
ですが、常に「どうぞ」と会わせることが難しい時期でもありました。そこで「そ報告がわりにYouTubeにアップしてみよう」と思い立ったのです。
いわゆる身内への報告のための動画作りだったのです。
カウントはこれまでのジオラマの動画と変わることはないだろうと思っていましたし、宣伝をするわけもありません。
もちろん、ジオラマ食堂の宣伝に繋がればと淡い期待はありましたが、それに期待し過ぎる事はありませんでした。

バズるTwitter?

ある頃までは猫の動画をアップすること不定期でした。ただその頃より、「コロナ禍で家から出れない」、「病気で自 宅に居るが動画を見て癒された」、「癌のマーカーが下がった」など、ジオラマの動画だけでは得られなかったコメントが散見するようになります。見てくださる方がいると言うのは、励みになるもので、「こんな動画で喜んでもらえるなら毎日あげよう!」と決心したのです。
そして、Twitterアカウントにも連携し、そんな投稿を続けること1ヶ月以上、運命の日がやってきます。9月11日にアップした動画「良い子は線路に入りません」を宣伝するツイートが一気に3,000件のリツイートに100件以上の引用と7,000件のいいねが付き、これまで見たこと無い数字をカウント。この後も、動画をアップする毎にフォロワーもいいねも増え続けることになります。
バズった理由は?
わかりません。ツィートの本文に英語を入れたから?そんな事くらいしか思い当たらず、いまだにわかりません。

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取材依頼が始まる

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その後もアクセス数は上がり続け、さらにFacebookのおすすめ動画に上がるようになり、相乗効果が生まれました。ただ、数値的に言えばまだまだのカウントです。一般的な数万と言う再生回数を得たわけではなかったのです。そんな中、福岡県のデイリースポーツ記者・平松様が取材の電話を頂き10月20日に記事にして頂きました。これがメディア初登場になり、その翌月には、NHK 大阪支局のニュースに出ることになりました。
この平松記者がデイリースポーツに掲載して下さった事により、その他の Web ニュースをはじめ、海外ニュース、そして全国版ニュースと、コロナの猛威が再び始まるを振るう年末に向けて、 ジオラマ食堂の様子が露出するようになりました。不安要素が再燃する中で、猫の家族が集客への希望を持たせてくれました。コロナや様々な問題で疲弊した状態の私たちには、「ありがたい」の一言でした。

檻の中のサラお母さん

サラお母さんについては、少し時間を戻すと9月になっても、人嫌いは変わらない状況でした。初めて保護した時から9月までの間、古くからの知り合いの猫好きの三嶋さんに相談したり、娘がネットから様々な情報を見つけ、試行錯誤を繰り返して距離を縮めようとしました。「猫のおやつ」と言われる有名なゼリー状の「モノ」もで仲良くなろうともしました。しかし、食べるその一瞬だけで、食べ終えると「シャー」と威嚇されました。
これが10月を過ぎても続き、このままケージから出さなければ運動不足になるのではないかと言う新たな不安要素になりました。
猫は生まれてから1年で人間年齢で約 18歳まで成長し人間の6歳ぐらいの知能があるそう です。また2年目には人間年齢で6歳年をとり、丸 2 年で人間年齢24 歳になり、あとは3〜4歳ずつ毎年歳をとるそうです。ということは、サラお母さんは2年半野良猫生活をしていましたので28歳!このままでは美しいプロポーションは失われますし、肥満は人も猫も大病の原因になります。そこで、一大決心することになります。
11月 27日、サラお母さんのケージの扉を開けました。

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ともに生きる

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サラお母さんを開放はしましたが、それでこれまでの苦労が変わるわけではありませんでした。
そして、この年末へ向けた中、取材依頼は加速しNHKの「もふもふモフモフ」と言う番組からも依頼を受け、撮影なども始まりました。ここまで来ると私たちの想像以上の現象になっている理解ができてきました。各SNSのアクセスやフォロワー、再生回数は猫たちが登場する前とは比較にならないものになりました。お店にも、コロナ禍で不安な中にも関わらず、外でお待ちいただく状態にまで回復しました。猫の家族にとって自由は無くなったかもしれませんが、安全な場所だけは提供できたかも知れません。この状況を猫の恩返しだとするのは早計かも知れませんが、私たちはこの家族に救われたのです。そして、年明けに私はもっと彼女たちと「家族」になるため、店舗で寝泊まりする事にしました。
この時、本当に「ともに生きる」覚悟をしました。

開かれた扉

覚悟が通じたわけではないでしょう。ただこの家族の生活に入り込んでいった。猫たちからすれば、その距離感が大事だったのだと今になれば分かります。簡易のベッドを用意し、四六時中共にいるようになって、ようやくサラお母さんも「危険ではない」と認めてくれるようになりました。半年以上を経て、彼女に認めてもらえることができました。
確実に「扉は開かれました」。
ケージではなく、切羽詰まった経営状況の中、「全て終わりにしたい 」とまで思った閉じた心を開けてくれたのは「この家族」です。
私は当初、猫がそれほど好きではありませんでした。
しかし、彼女たちが開けた扉は、自身でも驚くほどの変化をもたらせてくれました。
これが子猫を救ったことの恩返しならば、余りある恩返しです。
余った分を返す必要が「私たち」にはあります。
この家族と私たちは「ともに生き」、新たな恩返しを始める事にしました。それは、次の扉を開くお話に続きます。